(『日光月光』平成22年刊)葱という言葉が当時の私にすごく響いたんです。昔の光の棒の句を思いながら詠まれてますよている、と。葱を通して、先生はご自身を詠んでいるのだと思いました。いつも先生が次に何をなさるんだろうと興味津々でした。それが面白くてずっとついて来たのです」ところが、想像もしていなかったことが起こる。はずの不忍池での吟行が、あやしい風雨に見舞われた。打って変わって快晴の翌日、師の急逝の知らせを受け、とっさに前日の荒れた天気を思い出したという。 前年、師の句業を大作『黒田杏子の俳句櫻・螢・ 「藍生」には全国にたくさんの句会があるが、て来られたのは、「藍生」という土台があったか 「佐治さんたちは、とてもいい形で句会を続けて巡禮』(深夜叢書社刊)にまとめていた主宰には、もう杏子先生に見ていただけないのだと とほき日の葱の一句の底びかりね。かつての葱のきらきらは、今、底びかりになっ2023年3月13日、晴男晴女ばかりだった * 4句三句を掲載することになりました。 「終刊号の『藍生』に、会員全員が先生の追悼私もいろいろ詠んだ中から三句を選ぼうとして初めて、これはもう先生には見ていただけないのだと、しみじみ思いました。私の句を落としてくださる方はもういない。この葉書はいったい誰宛てに出すのだろうと……」新しい結社を起こす期待が寄せられた。その中の一つ、近県の「藍生」会員が集まってある。代表の佐治よし子さんから、これまでやっらだという話を聞いた。きたけれど、今後どうなるか不安だとおっしゃっていました。皆を繋ぐものとして、『藍生』の存在は大きかったのですね。私は、若いころ関西に引っ越したとき、親戚も30年以上も句会を続けてきたグループが山形に
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