(『木の椅子』昭和56年刊)(『花下草上』平成17年刊)いころ、誘われて『木の椅子句会』に行ったのが、その出会いによって、吟行という新たな面白さ師である故・黒田杏子さんの句集刊行、俳句甲例えば私がよけて通った水溜りで句を作った人がいたりします。吟行は、人の数だけ風景が現れるのが、まず面白いと思いました。すが、匂いとか、手触り肌触りとか、その場に行っ黒田杏子先生との出会いです。に気づかせてもらいました」 神田神保町、古いマンションの一室の「藍生」事務所。子園、そして結社「青麗」の立ち上げ準備に忙しい中、髙田正子主宰は、淡々と話し始めた。 「皆で吟行に行って、その後一緒に句会をすると、写真やテレビの映像でも、一応の把握はできまて五感全部を使わないとわからないことがあります。今日は、自分のどの感覚がどう反応したのその場に行って五感全部を使ってみる 白葱のひかりの棒をいま刻む この冬の名残の葱をきざみけりいることでよくわかるのです。黒田先生と出会っした」まいを移したところで、1990年に創刊されたどに参加、東京に戻ったのち、俳人としてキャリアを積んでいった。葱が若くてきらきらしていますよね。その冬の終わりのころの葱というだけで、へたっているわけでないでしょう。けれども名残のか、しなかったのか。それが、一緒に歩く仲間がて、最初に教えていただいたのがそういうことで主宰は、就職したあと、俳句と疎遠になっていた時期もあったが、退職し、夫の転任で関西に住「藍生」の会員になる。関西で「あんず句会」な 「私は先生の葱の句が大好きなんですよ。 * 3
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